絶対的な善と悪
今、自分のとても身近に起こっていることを
“善と悪”どちらかに分けろと言われたなら
大抵のものがそのどちらかに自分の考えだけで分けれると思うんです。
でも、それを組織や国など人が集まって束になったものを考えると
そう簡単に分けることが出来なくなってしまう。
その束はとても長い時間の中にいて、とても大きいもので、
束の中の人たちによっていろいろと変動してしまう不確定なもの。
束が単体で生きることが出来たならいいけれどそれはできなくて、
束はいい意味でも悪い意味でも人間味を帯びていて、それを拭うことは決してできない。
でもその人間味が束になっていることによって、
個人間では生まれない色々複雑なものが絡まってしまう。
だから、束の行為や言動に、すぐに“善と悪”をつけることは出来ない。
時間や束たちの流れに揺らされてしまう絶対的なものでない“善と悪”
こられは日本史を勉強していて、すごく強く思ったことです。
だから、日本の文化が大好きと思っていた私ですが、
色々と深く考えたりしたとき、首をかしげました。
「日本文化の全部が全部、良い面を持っているわけではなくて
それは同時に危険な面も持っている」という風に思ったんです。
文化と人の考えは密接に関係しているわけだから、
その文化を持った人たちはある日、戦争という道を選択した。
確かに、第二次世界大戦中に教育が操作され、軍国主義的な授業がされていました。
けれどそれを指導したのは軍国主義的な教育を受けていなかったはずの人たちです。
第一次世界大戦なんて、日本が戦争に参加した理由なんてこじつけのようなものです。
しかも、その当時の日本の代表は“武士”という人たちがいた時代を生き抜いて、
その人たちの考えに実際触れた人たちです。
話はずれましたが、私が思うに“善と悪”の区別はつけられないのではなくて、
“絶対的な善と悪”っていうのはないのかもしれない。
(個人間での出来事は除きます)
“善と悪”どちらかに分けろと言われたなら
大抵のものがそのどちらかに自分の考えだけで分けれると思うんです。
でも、それを組織や国など人が集まって束になったものを考えると
そう簡単に分けることが出来なくなってしまう。
その束はとても長い時間の中にいて、とても大きいもので、
束の中の人たちによっていろいろと変動してしまう不確定なもの。
束が単体で生きることが出来たならいいけれどそれはできなくて、
束はいい意味でも悪い意味でも人間味を帯びていて、それを拭うことは決してできない。
でもその人間味が束になっていることによって、
個人間では生まれない色々複雑なものが絡まってしまう。
だから、束の行為や言動に、すぐに“善と悪”をつけることは出来ない。
時間や束たちの流れに揺らされてしまう絶対的なものでない“善と悪”
こられは日本史を勉強していて、すごく強く思ったことです。
だから、日本の文化が大好きと思っていた私ですが、
色々と深く考えたりしたとき、首をかしげました。
「日本文化の全部が全部、良い面を持っているわけではなくて
それは同時に危険な面も持っている」という風に思ったんです。
文化と人の考えは密接に関係しているわけだから、
その文化を持った人たちはある日、戦争という道を選択した。
確かに、第二次世界大戦中に教育が操作され、軍国主義的な授業がされていました。
けれどそれを指導したのは軍国主義的な教育を受けていなかったはずの人たちです。
第一次世界大戦なんて、日本が戦争に参加した理由なんてこじつけのようなものです。
しかも、その当時の日本の代表は“武士”という人たちがいた時代を生き抜いて、
その人たちの考えに実際触れた人たちです。
話はずれましたが、私が思うに“善と悪”の区別はつけられないのではなくて、
“絶対的な善と悪”っていうのはないのかもしれない。
(個人間での出来事は除きます)
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About:漫画描いたり絵描いたりデザインしたいと思ってます。
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