世界平和
最近、全然勉強もせず、パソコンばっかりの私にしびれを切らしたのか・・・・
ちょっとご機嫌斜めな母。
それに影響されてご機嫌斜めな私。
あう・・・・いややぁ・・・・・・(o´_`o)
「脱クズ」を掲げたものの、全然向かいそうにない・・・・(・д・`●)
ピンチですな;
そんなパソコンで遊んでいる時に見つけた心に来る名言を載せたいと思います( ゜Д゜)ゞ
全世界で貧しい人々のために活動をし、ノーベル平和賞を受賞した『マザー・テレサ』が
黒柳徹子さんに送ったと言われる言葉です。
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに
他の国の人間を助けようとする人は、
他人によく思われたいだけの偽善者である」
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、
目の前にある人に対して、愛を持って接することだ。」
「日本人は他国のことよりも、
日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります」
なかなか考えさせられるものがあります。
というか、すっごく共感できます。
よく番組などで海外の“貧しい”とされる国やその国民が映し出されて、
その現状や理由などが大きく取り上げらたりすることがあります。
その場にいる芸能人たちが同情を少なからず含んだ瞳で
自分に何かできることはないかと発言したりする光景と時々目にしたりします。
その考えを否定するわけではないのですが、きちんと調べたりしていくうちに、
その根本的な原因は私たち先進国にあったりするのです。
それを具体的な例とともに説明した評論文を読んだ時に私はとても衝撃を受けました。
“貧しい”とされる彼らを救おうとする私たちの行動は
一時的なセンセーショナルに煽られた幼稚な考えでしかない、
“貧しい”とされる彼らの情報を、命の恐怖や飢餓、戦争などから自分を切り離し、
衣食住などに飽和した私たちは、
他の消費物と何ら変わりなくただ消費しているだけにすぎないと書かれていました。
確実に私もその一人でした。
“貧しい”彼らの情報を消費しては、自分の住む国がいかに平和かを再確認にして
自己満足していたのです。
ただ優越感に浸り、自分がいかに幸せかをかみしめていただけった。
語弊はありますが、「他人の不幸を糧に自分の幸せを得ていた」だけなんですよね。
今頃それに気づいた自分にショックを受けました。
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、
他人によく思われたいだけの偽善者である」
私たちは偽善者だったんですよ。
“苦しむ”って言葉はとてつもない幅を持ってる。
飢餓で苦しむ、貧困で苦しむ、戦争で苦しむ。
これらは私たちが住んでいるこの国ではあまり関わることのない苦しみかもしれない。
人間関係で苦しむ、親子関係で苦しむ、将来のことで苦しむ。
後者の“苦しむ”を前者の“苦しむ”と比べるのはあまりにも横暴だと思うかもしれませんが、
私はそんなことはないと思います。
だって後者の苦しみで自らその尊い命を絶ってしまう方が日本にたくさんいるんですよ。
それを後回しにして世界の“貧しい”人たちを救おうなんて、
目の前に置かれた現実から目をそむけているだけです。
でもやっぱり、世界平和を願わずにはいられない。
なら、どうしたらいいのか。
インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と
尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」
まさか、途方もない「世界平和」が
こんなに身近なところから始められるなんて幸いですね。
でも、簡単そうに見えて、当たり前そうに見えて、実はとっても難しいことだったりする。
(だって虐待とか、浮気とか、家庭内暴力とか、色々あるしね・・・・)
遠くのものからではなく、自分の身近なものから。
途方もない目標もそうやって一つずつこなしていきたいと思います。
・・・・・・・できるかな;
ちょっとご機嫌斜めな母。
それに影響されてご機嫌斜めな私。
あう・・・・いややぁ・・・・・・(o´_`o)
「脱クズ」を掲げたものの、全然向かいそうにない・・・・(・д・`●)
ピンチですな;
そんなパソコンで遊んでいる時に見つけた心に来る名言を載せたいと思います( ゜Д゜)ゞ
全世界で貧しい人々のために活動をし、ノーベル平和賞を受賞した『マザー・テレサ』が
黒柳徹子さんに送ったと言われる言葉です。
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに
他の国の人間を助けようとする人は、
他人によく思われたいだけの偽善者である」
「大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、
目の前にある人に対して、愛を持って接することだ。」
「日本人は他国のことよりも、
日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。
愛はまず手近なところから始まります」
なかなか考えさせられるものがあります。
というか、すっごく共感できます。
よく番組などで海外の“貧しい”とされる国やその国民が映し出されて、
その現状や理由などが大きく取り上げらたりすることがあります。
その場にいる芸能人たちが同情を少なからず含んだ瞳で
自分に何かできることはないかと発言したりする光景と時々目にしたりします。
その考えを否定するわけではないのですが、きちんと調べたりしていくうちに、
その根本的な原因は私たち先進国にあったりするのです。
それを具体的な例とともに説明した評論文を読んだ時に私はとても衝撃を受けました。
“貧しい”とされる彼らを救おうとする私たちの行動は
一時的なセンセーショナルに煽られた幼稚な考えでしかない、
“貧しい”とされる彼らの情報を、命の恐怖や飢餓、戦争などから自分を切り離し、
衣食住などに飽和した私たちは、
他の消費物と何ら変わりなくただ消費しているだけにすぎないと書かれていました。
確実に私もその一人でした。
“貧しい”彼らの情報を消費しては、自分の住む国がいかに平和かを再確認にして
自己満足していたのです。
ただ優越感に浸り、自分がいかに幸せかをかみしめていただけった。
語弊はありますが、「他人の不幸を糧に自分の幸せを得ていた」だけなんですよね。
今頃それに気づいた自分にショックを受けました。
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、
他人によく思われたいだけの偽善者である」
私たちは偽善者だったんですよ。
“苦しむ”って言葉はとてつもない幅を持ってる。
飢餓で苦しむ、貧困で苦しむ、戦争で苦しむ。
これらは私たちが住んでいるこの国ではあまり関わることのない苦しみかもしれない。
人間関係で苦しむ、親子関係で苦しむ、将来のことで苦しむ。
後者の“苦しむ”を前者の“苦しむ”と比べるのはあまりにも横暴だと思うかもしれませんが、
私はそんなことはないと思います。
だって後者の苦しみで自らその尊い命を絶ってしまう方が日本にたくさんいるんですよ。
それを後回しにして世界の“貧しい”人たちを救おうなんて、
目の前に置かれた現実から目をそむけているだけです。
でもやっぱり、世界平和を願わずにはいられない。
なら、どうしたらいいのか。
インタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と
尋ねられたテレサの答えはシンプルなものであった。
「家に帰って家族を愛してあげてください」
まさか、途方もない「世界平和」が
こんなに身近なところから始められるなんて幸いですね。
でも、簡単そうに見えて、当たり前そうに見えて、実はとっても難しいことだったりする。
(だって虐待とか、浮気とか、家庭内暴力とか、色々あるしね・・・・)
遠くのものからではなく、自分の身近なものから。
途方もない目標もそうやって一つずつこなしていきたいと思います。
・・・・・・・できるかな;
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