無意識
芸術家は現実世界にある自意識ではなく、
心の目で見る世界にある無意識を多く持っていなければならないと
教わり、その無意識で描いた絵が・・・

↑これです。
周りに余白を残す人は厳しい家庭で育った人かも
と言われ、心理テストみたいで先生すごいっ!と口に出してしまいそうでした。
心の目で見る世界にある無意識を多く持っていなければならないと
教わり、その無意識で描いた絵が・・・
↑これです。
周りに余白を残す人は厳しい家庭で育った人かも
と言われ、心理テストみたいで先生すごいっ!と口に出してしまいそうでした。
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大学入試
芸大志望なんで画塾に行ってたのですが・・・
そこで自分がどれだけ「井の中の蛙」だったか
痛いほど思い知らされました(´・ω・`)
私は自分は絵がうまいとか思ってはなかったのですが、
大好きな絵ならすぐに上達するだろうと思ってたんです。
でも、現実はそうじゃなくて・・・。
描けども描けども、一向に上達せず;
最初は上位にいたのに気づけば回に転落してた(._.;)
正直、自分はこのままこの道を進んで行っても生きていけるのだろうかという不安がよぎって
辞めたいなという気持ちが浮き上がってきた。
上には上がいる
昔のある人は「天は人の上に人を創らず」って言ったみたいやけど
それはまだ幼い子供には当てはまるけど、もう私の年代には当てはまらない言葉だよね
って、スランプに陥って、泣きそうになった。
でも、私から絵を取ったら何が残るんやろうって自問自答したら、
何もなかった。
私には絵しかなくて、私には絵しか自分の人生をかけれるものがなかった。
だから、ここであきらめてしまったらきっと私はこの先、大きな後悔をするんちゃうかなって。
そう思うと怖くなった。
一度きりしかない唯一の人生を後悔で塗ってしまうんじゃないかって。
たとえ輪廻の輪の中でこの世にもう一度生を受けたとしても、
それは私であって私じゃない。
だから私はこの道を進まないといけないんだ。って強く心の中で唱えた。
私は「出来なければあきらめる」
そんな風にして生きてきた。
だからこんな経験は初めてだった。
壁があるならそれを乗り越えて進みたい。
初めての気持ちに戸惑った。
でもその気持ちを大切にしてきたから、今の自分がいるんだ。
これからもそうやって生きていきたい。
大学入試でまさかこんな経験をすると思っていなかったので、
この大学入試は自分にとってとても意義のあるものでした。
誰かにとって私のこの大学入試はとても容易で、
誰でも受かるものに見えるかもしれない。
この大学入試を意義あるものだと、とても難しかったと思う私を嘲笑う人もいるかもしれない。
私も最初はそう思っていた。
でも物事の受け取り方って、人によって違う。
その人の色んな状況があって、色んな周りの環境があって、
色んな思いがある。
結局は、当事者以外にその気持ちを本当に理解し得ない。
なのにそれをすべて一般論で片付けられてしまう。
その思想に、その言葉に当事者たちがどれだけ傷ついているのかも考えずに。
一般論に過ぎないその思考から来た、切り取られた軽くて重い言葉に傷つく当事者。
理解してほしいなんて高望みはしないけど、どうか当事者の言葉も受け止めてほしい。
重い話になってしまった(´・_・`)
でもこれが私の本当の気持ちです。
書きとめたいと思い、ここにのせました。
そこで自分がどれだけ「井の中の蛙」だったか
痛いほど思い知らされました(´・ω・`)
私は自分は絵がうまいとか思ってはなかったのですが、
大好きな絵ならすぐに上達するだろうと思ってたんです。
でも、現実はそうじゃなくて・・・。
描けども描けども、一向に上達せず;
最初は上位にいたのに気づけば回に転落してた(._.;)
正直、自分はこのままこの道を進んで行っても生きていけるのだろうかという不安がよぎって
辞めたいなという気持ちが浮き上がってきた。
上には上がいる
昔のある人は「天は人の上に人を創らず」って言ったみたいやけど
それはまだ幼い子供には当てはまるけど、もう私の年代には当てはまらない言葉だよね
って、スランプに陥って、泣きそうになった。
でも、私から絵を取ったら何が残るんやろうって自問自答したら、
何もなかった。
私には絵しかなくて、私には絵しか自分の人生をかけれるものがなかった。
だから、ここであきらめてしまったらきっと私はこの先、大きな後悔をするんちゃうかなって。
そう思うと怖くなった。
一度きりしかない唯一の人生を後悔で塗ってしまうんじゃないかって。
たとえ輪廻の輪の中でこの世にもう一度生を受けたとしても、
それは私であって私じゃない。
だから私はこの道を進まないといけないんだ。って強く心の中で唱えた。
私は「出来なければあきらめる」
そんな風にして生きてきた。
だからこんな経験は初めてだった。
壁があるならそれを乗り越えて進みたい。
初めての気持ちに戸惑った。
でもその気持ちを大切にしてきたから、今の自分がいるんだ。
これからもそうやって生きていきたい。
大学入試でまさかこんな経験をすると思っていなかったので、
この大学入試は自分にとってとても意義のあるものでした。
誰かにとって私のこの大学入試はとても容易で、
誰でも受かるものに見えるかもしれない。
この大学入試を意義あるものだと、とても難しかったと思う私を嘲笑う人もいるかもしれない。
私も最初はそう思っていた。
でも物事の受け取り方って、人によって違う。
その人の色んな状況があって、色んな周りの環境があって、
色んな思いがある。
結局は、当事者以外にその気持ちを本当に理解し得ない。
なのにそれをすべて一般論で片付けられてしまう。
その思想に、その言葉に当事者たちがどれだけ傷ついているのかも考えずに。
一般論に過ぎないその思考から来た、切り取られた軽くて重い言葉に傷つく当事者。
理解してほしいなんて高望みはしないけど、どうか当事者の言葉も受け止めてほしい。
重い話になってしまった(´・_・`)
でもこれが私の本当の気持ちです。
書きとめたいと思い、ここにのせました。
つり球
お久しぶりです(*´∀`*)
受験生のくせに、更新してしまいました~。
どうしてもここに書き留めておかないといけないなぁって思ったんで。
普通にテレビでは見れなかったのですが、友達に面白いと言われて
「つり球」をふと見て、一目惚れしました!!
私はあまり自分では、どれがどう面白くて、
どれがどう面白くないのかあまりわからないんですが、
この作品は純粋に「面白い!」と思いました。
一話から十二話まで一気に見てしまいました(。-∀-)
人の前に立つ前は、大丈夫だ、ただ喋ればいいんだからと思ってはいても
いざ人の目が自分に集まると体が言うこと聞かなくなって
つい顔が赤くなってしまう主人公とても共感できました。
そういうことに慣れてない人にとってそれってとても緊張することなんですよね。
でも、分からない人にはわからない。だからいろいろと誤解されてしまう。
それはなかなか治らなくて、「また」とそれを繰り返してしまう。
それをあんなにも上手に絵としてアニメとして表現できているなんてとてもすごいです!
物語の進む速さも素晴らしかったです!ヾ(*´∀`)ノ
無理なく、しかも彼らが友達としての関係を築き上げていく流れに
不自然さが全く感じられなかった。
とても自然で、最初は全くかかわりのなかった(異物感ありありの)アキラが
あの三人の中に溶け込んでいくのも、全く気付かなかった。
「仲間」っていう状態がはっきりしたとき、「あれ?何でアキラここにいんの?」と思った。
「友達だろ」とかそんなありきたりな言葉で確認された「仲間」じゃなくって
現実で起こるような、「友達」という言葉で確認しなくても
「仲間」の「友達」がそこにあってとても驚きました。
彼らが「友達」となる過程の中で、
ユキは上手に自分を表現できるようになったり、
避けてきたものを本当の意味で手に入れたり、
お転婆だけのハルが、最初は一方的過ぎた感情を、
自分で大切な人のために上手に使えるようなったり、
夏樹は他人と関わることに少し煩わしいと溝を作っていたけど、
ユキとハルに触れていく度、妹だけに向けていた持っていた優しさを
他の人にも使えるようになっていったり、
組織の一員としてしか自分を存在させなかったアキラは、自分で大切なものを見つけて、
心の奥で覚めかけていた自分の情熱や大切な存在を守ろうとする感情を目覚めさせたり。
文章にすれば、言葉にすれば、彼らが「友達」になる過程の中で得たものは
すごく多くて大きなものだけど、それを大げさに描いたりせず、
分からないくらいに物語の中に素朴に描いて、
すっと私の中に入ってきました。
ユキの「友達を大切に思う心」に
ハルの「純粋でまっすぐな心」に
夏樹の「不器用だけど優しい心」に
アキラの「真の通った強い心」に
とても惹かれました。
つり球大好きだぁっ!!
色々と調子乗って書いちゃいました( ´艸`)
・・・・・こんな風に漫画を描きたいっ!っていう衝動に駆られたので。
では。
受験生のくせに、更新してしまいました~。
どうしてもここに書き留めておかないといけないなぁって思ったんで。
普通にテレビでは見れなかったのですが、友達に面白いと言われて
「つり球」をふと見て、一目惚れしました!!
私はあまり自分では、どれがどう面白くて、
どれがどう面白くないのかあまりわからないんですが、
この作品は純粋に「面白い!」と思いました。
一話から十二話まで一気に見てしまいました(。-∀-)
人の前に立つ前は、大丈夫だ、ただ喋ればいいんだからと思ってはいても
いざ人の目が自分に集まると体が言うこと聞かなくなって
つい顔が赤くなってしまう主人公とても共感できました。
そういうことに慣れてない人にとってそれってとても緊張することなんですよね。
でも、分からない人にはわからない。だからいろいろと誤解されてしまう。
それはなかなか治らなくて、「また」とそれを繰り返してしまう。
それをあんなにも上手に絵としてアニメとして表現できているなんてとてもすごいです!
物語の進む速さも素晴らしかったです!ヾ(*´∀`)ノ
無理なく、しかも彼らが友達としての関係を築き上げていく流れに
不自然さが全く感じられなかった。
とても自然で、最初は全くかかわりのなかった(異物感ありありの)アキラが
あの三人の中に溶け込んでいくのも、全く気付かなかった。
「仲間」っていう状態がはっきりしたとき、「あれ?何でアキラここにいんの?」と思った。
「友達だろ」とかそんなありきたりな言葉で確認された「仲間」じゃなくって
現実で起こるような、「友達」という言葉で確認しなくても
「仲間」の「友達」がそこにあってとても驚きました。
彼らが「友達」となる過程の中で、
ユキは上手に自分を表現できるようになったり、
避けてきたものを本当の意味で手に入れたり、
お転婆だけのハルが、最初は一方的過ぎた感情を、
自分で大切な人のために上手に使えるようなったり、
夏樹は他人と関わることに少し煩わしいと溝を作っていたけど、
ユキとハルに触れていく度、妹だけに向けていた持っていた優しさを
他の人にも使えるようになっていったり、
組織の一員としてしか自分を存在させなかったアキラは、自分で大切なものを見つけて、
心の奥で覚めかけていた自分の情熱や大切な存在を守ろうとする感情を目覚めさせたり。
文章にすれば、言葉にすれば、彼らが「友達」になる過程の中で得たものは
すごく多くて大きなものだけど、それを大げさに描いたりせず、
分からないくらいに物語の中に素朴に描いて、
すっと私の中に入ってきました。
ユキの「友達を大切に思う心」に
ハルの「純粋でまっすぐな心」に
夏樹の「不器用だけど優しい心」に
アキラの「真の通った強い心」に
とても惹かれました。
つり球大好きだぁっ!!
色々と調子乗って書いちゃいました( ´艸`)
・・・・・こんな風に漫画を描きたいっ!っていう衝動に駆られたので。
では。
問題のない私たち
「問題のない私たち」の映画を初めて見ました。
以前、小説で読んだことはありましたが、
映像化されたものがあるなんてさっき初めて知りました。
そして観ていると、色々と感じ、考えさせられる場面が多々ありました。
以前に小説を読んだときはまだ自分自身が幼かったため、
あまり考えられなかったということもあると思います。
文字として自分の中に入り込むというのではなく、
映画なので視覚、聴覚を通じて自分の中に入ってくるので
より鮮明にその場面を心に強く焼き付けられました。
映画では第三部がなかったので少し残念ですが、
メッセージ性のあるとても良い映画だと思いました。
いじめる側、いじめられる側、いじめを傍観する側という風に
多角的に“いじめ”というものをリアルに描き出しているので
たくさんに人に見てもらいたい作品だと強く思います。
この作品を観て、私は強く自分の今までの行動や言動を思い起こされ考えさせられました。
決して誰かに尊敬されるような生き方をしていたわけでない自分の今までの行動が
少し恥ずかしく感じられました。
自分では誰かをいじめたという記憶はありませんが
(第三者からいじめと見える場合があるかもしれません)
それでも起こっていたいじめらしきことを止める力も何も持っておらず、
傍観者と化していたかもしれないという思いはあったりします。
きっとたくさんの人が“いじめは悪い”“いじめは止めなくてはならない”と思
ってるはずなんですが、
それでもいじめがこの世から消えなくて残っていて、
それによって自殺に追い込まれる人がいるというまぎれもない、
揺れ動かないたった一つの事実。
いじめをなくす方法なんて、すごく単純なことだと思うんです。
人間が一切の感情を持ち合わせず、ただ機械の如く脈打ち生きる。
そうすればきっと人間たちはいがみ合うことも憎しみ合うことも
いじめあうこともなくなると思うんです。
でもそれって、もはや人間と呼べないし、人間である意味を失うこと、
そして不可能なこと。
ならばどうすればいいか。
それを追求すことこそ、人間の生きる意味であり、真の進化だと私は考えてます。
だから私は自分の人生の中でそれを追求して、
かなうならそれを自分の漫画の中でもしたいと思ってます。
以前、小説で読んだことはありましたが、
映像化されたものがあるなんてさっき初めて知りました。
そして観ていると、色々と感じ、考えさせられる場面が多々ありました。
以前に小説を読んだときはまだ自分自身が幼かったため、
あまり考えられなかったということもあると思います。
文字として自分の中に入り込むというのではなく、
映画なので視覚、聴覚を通じて自分の中に入ってくるので
より鮮明にその場面を心に強く焼き付けられました。
映画では第三部がなかったので少し残念ですが、
メッセージ性のあるとても良い映画だと思いました。
いじめる側、いじめられる側、いじめを傍観する側という風に
多角的に“いじめ”というものをリアルに描き出しているので
たくさんに人に見てもらいたい作品だと強く思います。
この作品を観て、私は強く自分の今までの行動や言動を思い起こされ考えさせられました。
決して誰かに尊敬されるような生き方をしていたわけでない自分の今までの行動が
少し恥ずかしく感じられました。
自分では誰かをいじめたという記憶はありませんが
(第三者からいじめと見える場合があるかもしれません)
それでも起こっていたいじめらしきことを止める力も何も持っておらず、
傍観者と化していたかもしれないという思いはあったりします。
きっとたくさんの人が“いじめは悪い”“いじめは止めなくてはならない”と思
ってるはずなんですが、
それでもいじめがこの世から消えなくて残っていて、
それによって自殺に追い込まれる人がいるというまぎれもない、
揺れ動かないたった一つの事実。
いじめをなくす方法なんて、すごく単純なことだと思うんです。
人間が一切の感情を持ち合わせず、ただ機械の如く脈打ち生きる。
そうすればきっと人間たちはいがみ合うことも憎しみ合うことも
いじめあうこともなくなると思うんです。
でもそれって、もはや人間と呼べないし、人間である意味を失うこと、
そして不可能なこと。
ならばどうすればいいか。
それを追求すことこそ、人間の生きる意味であり、真の進化だと私は考えてます。
だから私は自分の人生の中でそれを追求して、
かなうならそれを自分の漫画の中でもしたいと思ってます。
NARUTOの世界
NARUTOは物語が面白く単純に好きですが、それ以外にもひきつけられるものがあります。
疾風伝前はあまり思わなかったのですが、疾風伝以降の物語にとても社会性を感じます。
(以前は自分の年齢がとても幼かったということもあるかもしれませんが)
物語の中で起こっていることが必ずしも絵の中でしか起こりえないことではなく、
目を凝らせば実際に真実としてある。
そういうこと強く感じさせられました。
9.11のテロを起こしたとされる組織は
元は、冷戦時代にアメリカやソ連から武器を渡され、
その両国の争いに加わった人たちが、冷戦終了後もそのまま武器を所持し、
組織として確立していったのです。
そして現在に至り、今やアメリカの治安を脅かす組織になったのです。
まるで、第二次忍界大戦で大切な人を失い、暁に入ったサソリを思い起こさせられます。
確かに暁は“犯罪者”の組織ではありますが、彼らを忍界(?)が一概に罪を裁いて
その罪を責めることが出来るのか私はとても疑問に思っています。
彼らが“暁”として集うようになった責任が忍界(?)に全くないとは思えませんし、
第二次忍界大戦の時には暁に協力を求めていた国もあったらしいですから。
犯罪者組織であることは今も昔も変わらないのに、
都合のいい時には協力を求めて、それが自分たちの脅威となったら切り捨て、
敵とみなして戦うっていうのはちょっとおかしいんじゃないかと思うんです。
でも、こらからの展開でナルト、一つの国をまとめる我愛羅は
自分たちの考えで戦争に決着をつけなければなりません。
彼らがどうやってその戦争を終焉へと導いていくのかとても気になりますね。
ただ武力的に勝った負けただけでは“本当の戦争の終焉”にはなりませんからね・・・。
前に描いた「絶対的な善と悪」にも少しかぶってますね;
なんか感傷的になってすみません。
歴史とかの授業中の私は感傷的で「どうせ昔のことやん」とか思ってられないんです。
やっと、歴史を今学ぶ意味が見えてきた気がするんで。
でもその自分の思いを、感じたままに文章に丁寧に表すことが出来なくてとても悔しいです。
疾風伝前はあまり思わなかったのですが、疾風伝以降の物語にとても社会性を感じます。
(以前は自分の年齢がとても幼かったということもあるかもしれませんが)
物語の中で起こっていることが必ずしも絵の中でしか起こりえないことではなく、
目を凝らせば実際に真実としてある。
そういうこと強く感じさせられました。
9.11のテロを起こしたとされる組織は
元は、冷戦時代にアメリカやソ連から武器を渡され、
その両国の争いに加わった人たちが、冷戦終了後もそのまま武器を所持し、
組織として確立していったのです。
そして現在に至り、今やアメリカの治安を脅かす組織になったのです。
まるで、第二次忍界大戦で大切な人を失い、暁に入ったサソリを思い起こさせられます。
確かに暁は“犯罪者”の組織ではありますが、彼らを忍界(?)が一概に罪を裁いて
その罪を責めることが出来るのか私はとても疑問に思っています。
彼らが“暁”として集うようになった責任が忍界(?)に全くないとは思えませんし、
第二次忍界大戦の時には暁に協力を求めていた国もあったらしいですから。
犯罪者組織であることは今も昔も変わらないのに、
都合のいい時には協力を求めて、それが自分たちの脅威となったら切り捨て、
敵とみなして戦うっていうのはちょっとおかしいんじゃないかと思うんです。
でも、こらからの展開でナルト、一つの国をまとめる我愛羅は
自分たちの考えで戦争に決着をつけなければなりません。
彼らがどうやってその戦争を終焉へと導いていくのかとても気になりますね。
ただ武力的に勝った負けただけでは“本当の戦争の終焉”にはなりませんからね・・・。
前に描いた「絶対的な善と悪」にも少しかぶってますね;
なんか感傷的になってすみません。
歴史とかの授業中の私は感傷的で「どうせ昔のことやん」とか思ってられないんです。
やっと、歴史を今学ぶ意味が見えてきた気がするんで。
でもその自分の思いを、感じたままに文章に丁寧に表すことが出来なくてとても悔しいです。
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Profile Data
Name:愛美
Twitter:@D_Ami_12
About:漫画描いたり絵描いたりデザインしたいと思ってます。
Attention:当ブログ内の画像や文章は転載禁止です。
About Link:マナーを守ってくだされば、貼るも剥がすもご自由に。報告は希望しますが必要ありません。
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